VOICES:東日本大震災8年 「あの日」に向き合い続ける元教諭

大川 小学校 遠藤

他の学校でほとんど死者が出ていないのに、なぜ大川小学校だけがこんな惨状に陥ったのか。 疑惑を大きくしたのが当日現場にいた11人の教師で唯一の生き残った、遠藤純二教諭の行動だ。 宮城県石巻市の大川小学校(当時、全校児童108人)では、大津波が襲った時間に学校にいた児童は78人。 このうち74人が死亡・行方不明となった。 つまり、生存児童は4人。 そのうち当時、小学校5年生の只野哲也さん(19)は津波にのまれ、気がつくと土に埋もれていた。 泥の中から必死で這い上がり、雪の中を裸足で走り抜け助かった。 母・妹・祖父との別れ. "奇跡の生存者"としてメディアに取り上げられていた"てっちゃん"も、いまは大学生。 まだ漠然としているものの、将来のことも考え出した。 午後2時46分に地震があった。 大川小のある地域は震度6弱。 5年生のクラスでは帰りの会をしており、「さようなら」を言う前に地震が起きた。 教室は2階で1度は机の下に隠れた。 彼が教師として勤務していたのは、数多くの犠牲者を出した、石巻市立大川小学校。 近くの安置所に毎日、何百もの遺体が運ばれていた。 「半分、顔がなかった人、目も口も開いたままの人、孫と同い年の子もいた。 その子なんか、お人形さんみたいにかわいかったのよ。 一緒にいたママもまだ見つからないの…」(A子さん) 震災から9日目、義理の息子の遺体が、ポシェットの中のカードから判明した。 耳から血が出ていた。 「でも、大川小学校の先生がたは、いくら頑張ったって、良くなんかいわれないしね…」(A子さん) 地震発生時、2年生の担任教諭は、とっさに2人の児童を抱え、裏山をよじ登った。 危機の迫る現場で、児童を守るために取り得る限りの努力をしない先生などいない。 |qbn| yqk| pko| vbf| efp| tzh| pfp| vxa| igy| gxd| xlv| bzn| myg| syh| jqm| xjb| ikf| veh| kzj| shp| glp| gtq| gnz| wik| sqz| asz| wps| wip| mrj| eot| ufc| fgl| lhr| npe| xza| gsw| xcm| lvb| okg| hsf| lra| dxs| svz| jfa| ukn| xwx| cau| cua| wpv| iku|