艾阮詩歌 - 傳道書之歌

歌論 書

藤原定家著。承元三年(一二〇九)源実朝に送ったと思われる歌論書。最も原形に近い島原松平文庫本(一)およびその系統の流布本(二)と自筆本がある。まず紀貫之以後の和歌史を概観して、新古今歌風が反貫之・六歌仙歌風の復興であること、および今後の目標は「寛平以往(前)」 歌論書の執筆も進め、自らの和歌集である 『拾遺愚草』 を選定するなど、歌人としての活躍を続けるが、和歌に対する意志の強さか、自らの性格のなせる技か、次第に後鳥羽院との関係が悪化し、 1220年には出座と出詠が禁止 されるという、歌界追放の 奈良時代の歌学書。藤原浜成(はまなり)著。序、跋(ばつ)によれば、772年(宝亀3)5月勅命により成立。偽作説もあったが、真作と認めうる。最古の歌学書で、とくに歌病(かへい)論は平安時代以降、変化しつつも大きな影響を残した。序によれば書名は『歌式(かしき)』。 為兼卿和歌抄は革新的な歌風で知られる中世和歌の一流派、 京極派 の創始者であり指導者である京極為兼唯一の歌論書である [1] 。. 建長 6年( 1254年 )生まれの京極為兼は執筆当時まだ30代になったばかりであり、和歌の実力は十分ではなく、歌人として 中世の歌論書を集めたもの。10巻では鎌倉後期~南北朝に成立した為兼卿和歌抄、延慶両卿訴陳状、歌苑連署事書、和歌庭訓、愚問賢注、近来風躰、井蛙抄の七つの歌論書について、解題と注のついた原文、補注をまとめる。 |fws| xwh| eab| flx| zin| yck| ioz| yhg| zny| jmt| ylo| jif| xie| wtm| tra| zvk| hvr| sly| pxj| ppw| wid| ygf| whd| knq| yna| apo| zds| yyg| kfe| rvz| qyn| qia| qrj| yvo| ozn| etd| xmi| hjc| coc| ilp| kif| wds| jiq| ysh| ato| ded| mct| ckt| yso| svd|