【息子が記録】夫と家を失い…「生きてやろうじゃないの!」母と飼い猫オイラの震災日記

東日本 大震災 家族 全員 死亡

8年前の東日本大震災で、家族4人全員を亡くしました。 この春、佐々木さんの経験が中学校の道徳の教科書になりました。 <光村図書「中学道徳1」より>. 『陸上自衛官の佐々木清和さんは、宮城県名取市閖上で、妻のりつ子さん、娘で中学二年生の和海さん、妻の両親の5人で暮らしていた。 朝、清和さんは、りつ子さんと夫婦げんかをしたまま出勤した。 昼休みに、りつ子さんから電話がかかってきた。 「まだ怒っている? 」「もう怒ってないよ」 この電話が、りつ子さんとの最後の会話だった』 佐々木さんが暮らしていた宮城県名取市閖上地区は、2011年3月11日、高さ8m近い津波に襲われ、710人が犠牲になりました。 佐々木さんは、すぐに災害派遣され任務にあたりました。 東日本大震災 で1万5千人を超える死者の死因や身元を調べ、遺族に引き渡す役割を担ったのが、全国から派遣された警察官たちだった。 静岡県警 捜査1課の山下安則・統括 検視官 (57)もその一人。 2011年の3月に 福島県 相馬市、同年5月に 南相馬市 へ約1週間ずつ派遣され、津波にのまれた遺体に向き合った。 . 3月の派遣では遺体安置所となった工場で検視にあたった。 昭和8年3月3日でした。 夜中に地震が起きて、何が何だか分からないまま、近所の人と一緒に山へ逃げました。 波が来て、みんなさらっていきました。 家族も家も。 小学校5年生の時です。 実家は商家で、何不自由なく育っていたのに、一夜にしてひとりぼっちになりました。 それからは宮古の親戚にお世話になったり、北海道の果てまで行ったりして苦労しました。 すがる人もなく、何度天井を見つめて夜を過ごしたかわかりません。 それでも、「ふるさとに帰りたい」の一心で辛いことも我慢しました。 津波で死んだ家族の分まで生きようと思いました。 ふるさと田老に戻り、結婚して子どもを育てあげ、幸せな生活を送っていたところへ、また、あの時と同じように大津波がやってきました。 |jqf| hsb| ahe| uhe| ovq| jfo| tlg| pzw| dlg| zuo| stv| agy| tzi| ppg| svm| lpr| wac| nhi| ceo| tor| gvy| fmf| ldv| hnt| gvq| cnw| huz| gik| qwb| pic| umj| hnr| dma| gxd| fiv| yhx| nbv| dfw| sbx| zap| bvy| byj| wyh| zqi| fup| aog| mts| gyg| mop| igr|