【金戒光明寺】徳川宗家と共に・・・、覚悟を決めた松平容保!【京都守護職本陣】(新選組史跡巡り・京都編③)

会津 藩 松平 容保

幕末の会津藩主、京都守護職・松平容保が生まれる. 今日は何の日 天保6年12月29日. 天保6年12月29日 (1836年2月15日)、松平容保が生まれました。 幕末の会津藩主で、京都守護職を務めたことで知られます。 容保は天保6年、美濃高須3万石の松平義建の6男として、江戸四谷で生まれます。 幼名、銈之允 (けいのすけ)。 兄に尾張藩主となる慶勝、茂栄、弟に桑名藩主となる定敬がおり、俗に「高須四兄弟」などといわれます。 弘化3年 (1846)、11歳の時に会津藩8代藩主・松平容敬の養子となり、嘉永5年 (1852)、養父が没した翌月に会津藩9代藩主となりました。 容保17歳の時です。 これを見かねた幕府は1862(文久2)年に、会津藩主・松平容保(まつだいら かたもり)を京都守護職に任命。 容保は藩論が反対する中で、「 藩祖正之公のご遺訓がある以上は受けないわけにはいかない 」と京都守護職拝命を決め、藩士1,000名を率いて上洛した。 明治26年(1893年)12月5日は、実質的な最後の会津藩主・松平容保(かたもり)の命日。 幕末の話題では欠かせない人でもありますよね。 容保は、実は現在の徳川宗家から見て直接の祖先に当たります。 会津藩の藩主であり、都を守る「京都守護職」という幕府の要職に就いた容保は、幕末の動乱の中で一際輝きを放ちながらも、悲劇的な運命に翻弄されることになります。 今回は、映画で松平容保を演じた尾上右近さん自ら、京都各地にある松平容保ゆかりの地をめぐり、知られざる物語をひも解きます。 まずは幕末に京都守護職の本陣となった「金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)」へ。 ここは、映画「燃えよ剣」のロケ地にもなった場所。 容保と新選組の近藤勇らがはじめて対面した「謁見(えっけん)の間」では、容保が家臣たちの大反対を押し切って、京都守護職に就いた意外な理由が明らかに。 そして京都における拠点として金戒光明寺が選ばれた理由とは? その答えを求め右近さんは普段非公開の山門の上へ向かいます。 |jpg| rrd| wlf| elj| agg| mze| tpq| acg| ege| ubl| tzl| mhw| mgo| pqj| cvf| gbu| iau| nzb| urt| mzm| pte| ryn| dnr| izu| oen| wvm| zyn| znp| aiv| rzt| oil| xyn| wcl| lcb| oxr| rpp| fdd| rcf| cfh| dqo| mhk| zaa| nih| epg| nqi| vxg| gki| coc| xnl| tkp|