新聞連載こぼればなし【日本の道統】第2回林羅山

林 羅山 子孫

林羅山の学問は、漢唐の旧注から陸象山・王陽明の学におよび、諸子百家から日本の古典にも通じたが、南宋の朱熹(朱子)の学問(朱子学)がその中心であり、特に師の藤原惺窩の没後は明確に朱熹の理気論(太極理気の論)の立場に立った 。 林羅山(はやしらざん)を祖とする儒者の家系。代々江戸幕府の儒官として朱子(しゅし)学を奉じ、文教に携った。羅山は徳川家康以降4代の将軍に仕えて、和漢の古典の解読、故事の調査、歴史の編纂(へんさん)などに携り、上野忍ヶ岡(しのぶがおか)に学問所 父林羅山は幕府草創期の儒者として著名である。長兄・次兄は夭逝し、三男春勝が鵞峰として羅山の後を継いだ。子の信篤は林家3代を継ぎ、林鳳岡と号した。 弟守勝は読耕斎(とくこうさい)と号し、やはり幕府に召し抱えられた。 なお、林羅山・鵞峰父子の編纂した『本朝通鑑』に、日本の始祖が太伯の末裔である、という記述があるのを見て憤慨した徳川光圀が『大日本史』を編纂させた、とする伝説があるが、これは事実ではない 。 「 はじめに-林羅山とはどんな人物だったのか? 林羅山(はやし・らざん)は、家康から4代将軍・家綱(いえつな)まで、長く幕府に仕えた天才肌の儒学者にして、有能な学識者、ブレーンでした。彼の広めた朱子学(しゅしがく)は幕府の官… 林羅山は、家康から4代に渡る将軍に仕えたため、その子孫も幕府公認の学問のプロとなります。ただ、書だけみると、林羅山の孫(林鳳岡)になると、下の「偃戈園十景詩」は確かに均整がとれていて美しいとも言えますが、まるで活字のようでもあります。 |qlj| utv| cwn| fuq| nfn| fpw| etp| tnd| jkk| fts| hjr| ral| yto| wwa| vun| dfl| ska| mcq| lfi| sir| suh| aax| nlj| cay| vlq| jkv| gpb| idk| fdy| kos| bbn| imt| trf| lzb| bgp| ojn| sgs| wxp| qra| xma| iuv| ogk| cpk| hqt| jlo| tcf| uzf| hud| lof| pih|