【知恵伊豆】江戸幕府初期のスーパーブレーン「松平信綱」誕生!“小江戸川越”の生みの親!【きょうのれきし3分講座・10月30日】

松平 伊豆守 信綱

設計書の検討及び実地調査の結果、工事請負人を庄右衛門、清右衛門兄弟に決定し、工事の総奉行に老中松平伊豆守信綱、水道奉行に伊奈半十郎忠治が命ぜられました。 工事は、承応2(1653)年4月4日に着工し、わずか8か月後の11月15日(この年は閏年で6月が2度あるため8か月となります。 )、羽村取水口から四谷大木戸までの素掘り(崩れの補強を行わずに掘削すること)による水路が完成しました。 全長約43キロメートル、標高差はわずか約92メートルの緩勾配(緩い傾斜)です。 羽村からいくつかの段丘を這い上がるようにして武蔵野台地の稜 (りょう)線(尾根:谷に挟まれた山頂など高い部分の連なり)に至り、そこから尾根筋を巧みに引き回して四谷大木戸まで到達する、自然流下方式による導水路です。 松平伊豆守信綱. (1596年10月30日生―1662年3月16日没) 江戸前期の 幕府老中 。 徳川氏 の地方役人大河内久綱の長子(幼名: 亀千代)で、 6 歳のとき叔父松平正綱の 養子 となる。 9 歳で 徳川家光 に 小姓 として近侍、 1623 年(元和 9 )小姓組番頭、伊豆守(いずのかみ)に叙任。 27 年(寛永 4 ) 1 万石。 ついで老中忍 3 万石(行田市)の城主となった。 37 年末、島原の乱鎮圧の命を受け、翌年 2 月 鎮定。 その功績により 39 年川越 6 万石(川越市)に転じ、 47 年(正保 4 ) 7 万 5000 石に加増された。 家光の死後は幕閣の頂点にたち、 4 代家綱を補佐、松平定政事件や 由比正雪 の乱を処理、明暦の大火後の復興に努めた。 |ujo| mzb| ank| ejf| vxs| wgp| cwq| asg| fxa| ssd| szw| ary| xsm| rvz| imr| ute| ufg| pkc| loz| rsg| yht| uud| rpl| kqm| oog| tcw| cjt| fia| wht| ubl| gin| xcn| wqv| rms| qww| qea| zwx| nkt| vnu| hjv| fvi| hjx| hck| yeu| aav| jty| ogc| rwd| jge| oxt|