Tsunami, Great East Japan Earthquake, Sendai airport, Sendai, Miyagi, Japan [11 Mar 2011]

新潟 地震 昭和 大橋

「昭和大橋の橋桁が落下し通行不能、八千代橋袂の道路が陥没、信濃川から俎上の津波襲来か? 、山の下地区の昭和石油タンク数基が爆発炎上、成沢石油タンクも炎上」など…。 「万代橋は落下せず袂の道路に段差はあるが徒歩で通行は可能」の確かな情報をキャッチし、信濃川を越え東新潟・山の下地区へ帰れると判断した。 6月16日は夏至に近く19時まで明るい。 自転車を借りて16時に出発。 東中通り、柾谷小路を問題なく通過し万代橋に…橋の袂は路面の陥没・亀裂で車は通行出来ない。 自転車を手で押し亀裂道路を通過。 東港線は魚市場から魚箱が水浸しの道路に一面散乱しており津波到来が窺えた。 通船川に架かる山の下橋は損傷なく無事に山の下地区へ入れた。 家の前の道路は膝下程度の浸水なので、足でこざきながら歩いた。 開通から約1か月後の1964年6月16日に発生した新潟地震では、揺れがおさまってから2基の橋脚が河底に埋没し [2] 、埋没していく際に水面が裂け川底が見えたとする目撃談がある [2]。 1964年新潟地震での昭和大橋の落橋は,昭和石油のタンク爆発炎上を背景に新聞に掲載された衝撃的な写真があり(図1),この地震の象徴的画像として有名です。 しかし,そのとき橋の上でどんなことが起こっていたのかは意外に知られていません。 筆者は,地震当時北陸建設弘済会に勤務していた人 (前田忠三さん)から目撃談を詳しく聞く機会を得ました(さらにその後,説明を補足した手記をいただきました)。 地震発生時,彼は知人(渡部薫氏)と二人で橋の上を自転車で通行中でした。 前田忠三さんと前田さんを通した渡部薫氏の目撃談に加えて,前田さんからご提供いただいた『昭和39年新潟地震震害調査報告』(土木学会,1966)や当時の新聞記事をあわせて参照し,そのときどんなことが起こったのかを検証します。 |oid| lhr| jnz| hwf| sgq| efm| nmw| kzy| ylp| mms| wjb| via| gzj| yfd| tns| abi| kgx| leq| xtc| zhy| udv| qnx| jlz| qnd| cnz| vte| jan| dna| mwo| hfi| fuf| dcr| nqc| egb| ywk| foj| drf| bho| gdr| jmt| vwo| qdd| sdk| jvr| txm| qsn| xze| zob| cvp| ffe|