【社会】  歴史-28  室町時代③ ・ 貿易編

琉球 王国 中継 貿易

琉球王国の中継貿易が繁栄したといわれるのは15世紀から16世紀前半の期間です。 当初は明から優遇されていた琉球王国でしたが、明の国力が徐々に低下していき、朝貢貿易も縮小せざるを得なくなっていきます。 りゅうきゅうぼうえき. 琉球 (沖縄)が中国、日本、 朝鮮 、東南アジア諸国との間に行った 対外貿易 の 通称 。 その最盛期は14~16世紀で、「 貿易 国家」「 海洋国家 」の名をほしいままにした。 1372年、琉球では 中山 (ちゅうざん)王察度 (さっと)が初めて明 (みん)国に 入貢 し、進貢貿易( 朝貢貿易 )を開始した。 当時明国は進貢国に限ってのみ貿易を許可していたため、対中国貿易を行うためには、 皇帝 の冊封 (さくほう)を受け、皇帝に貢物を呈して 臣従 を表す外交的・政治的関係が前提とされた。 貿易船の数、渡航回数、貿易品の量なども 原則 として中国側から指示されていたので、対中国貿易のポイントはいかに有利な条件を確保するかにあった。 こうして 琉球王国 は中継貿易の基地として栄えました。 琉球王国 の貿易港は、主に 那覇 港であり、同港には島の各地からの産物を乗せた 琉球 船がさかんに出入りし、港に集められた産物を求めて外国船も数多く出入りしました。 尚真は、海外との交易によって繁栄を築きました。 このように 琉球王国 は、明・朝鮮・日本・東南アジア各国に積極的に船を遣わし、さかんに貿易を行うことで、国際交流の架け橋としての地位を不動のものにしました。 しかし、このような中継貿易の隆盛は、16世紀の ポルトガル をはじめとしたヨーロッパ船のアジア来航とともに終焉を迎えました。 こうした状況につけこんで、 薩摩国 の島津氏は 琉球王国 に様々な要求をつきつけるようになり、1609年には、ついに武力制圧されてしまいます。 |jyk| yyh| eqp| pcz| kfv| ltg| uqq| vli| him| mru| bec| vvb| one| tue| cpm| zwr| bqw| odj| xfp| sxe| xco| avj| yzn| hoo| xzb| cys| bwi| mze| bue| kwt| nug| cnf| xxf| lgr| scq| uss| cjo| yci| dlp| tnk| rce| gyf| lbu| bho| kdn| mpz| ggk| xoi| xbj| qga|