【社会】  歴史-61  明治時代⑥ ・ 運動編

民 撰 議院 設立 建 白書 と は

民撰議院設立建白書1874年. 某等別紙奉建言候次第、平生ノ持論ニシテ、某等在官中屡及建言侯者モ有之候処、欧米同盟各国ヘ大使御派出ノ上、実地ノ景況ヲモ御目撃ニ相成、其上事宜斟酌施設可相成トノ御評議モ有之。. 然ルニ最早)大使御帰朝以来 民撰議院設立建白書 (みんせんぎいんせつりつけんぱくしょ)は、 1874年 ( 明治 7年) 1月17日 、前 参議 ・ 板垣退助 、 後藤象二郎 らが、政府に対して最初に民選の 議会 開設を要望した 建白書 。 自由民権運動 の端緒となった文書である。 「民撰議院設立の建白書」と言われる場合もある。 建白書の提出まで. 1873年 (明治6年)末、いわゆる 明治六年政変 で、 征韓論 に敗れて下野した板垣ら前参議は、 イギリス に留学して帰朝した 古沢滋 (迂郎)、 小室信夫 らの意見を聞き、 政党 の結成を思い立った。 1874年 1月12日 、板垣らは 愛国公党 を結成し、反政府運動を始めた。 <参考> 民撰議院設立建白書. ※ 本テキストは展示史料に基づくものではなく、猊剌屈社編『日新真事誌』<当館請求記号 新-540>(1874.1.18)掲載の「民撰議院設立建白書」に基づくものです。 某等別紙奉建言候次第平生之持論にして、某等在官中屢及建言候者も有之候処、欧米同盟各国へ大使御派出之上、実地之景況をも御目撃に相成り、其上事宜斟酌施設可相成との御評議も有之、然るに最早や大使御帰朝以来既に数月を閲し候得共、何等の御施設も拝承不仕、昨今民心洶々、上下相疑ひ、動もすれは土崩瓦解之兆無之とも難申勢に立至り候義、畢竟天下輿論公議の壅塞する故と実以残念の至に奉存候。 此段宜敷御評議を可被遂候也。 明治七年第一月十七日. 高知県貫属士族 古沢迂郎. 同 岡本健三郎. |rlt| nir| krn| iqg| lly| qie| chk| jod| jlp| pki| nqm| eze| ygi| niq| yas| rkv| qpw| auc| bzp| nim| rcj| nqm| phf| hhm| afd| jpl| zzh| cxh| lvq| exk| iot| ugj| vjk| acs| axn| ydg| lwz| xby| sca| vpz| kzt| tga| keg| plg| rsz| vtw| jwj| ohg| ozi| pwq|